愚者なりの前進
この曲『親哀なる母へ』で
僕が実の母親から虐待をされていた
話を歌詞に載せました
もちろん僕だけでは無く
姉が始まりでしたがね
俺が知ってる母親は
本当にろくでもない母親でね
親父から聞く話では
全く別の生き物みたいで
想像も付かなかったんだけど…
親父が母に出会った当初
仙台の教会で行われいた
奴隷売買の解放活動で
知り合っただとか…
俺の父親が相当な嘘つきだからさ
あんま信用にならないんだけどね…
この話も本当かどうかは
疑わしい
まず父親に信頼がゼロに近い理由。
①フィリピンに居る時に
親父が持ってきた日本の雑誌で
憧れた部屋があった。
その雑誌のまさにこういう写真を見て
俺は親父に言った。
『日本に行けばこういう家に住めるの!?』
ってね。
アイツの返しはこうだった
【お父さんは一級建築士だし
どんな部屋でも住めるよ!
こういう部屋ぐらいなら
簡単に住めるさ!】
ってね。
めっぽう憧れた。
希望だった。
だからどんな事があっても
"日本に行けば希望がある"って
幼少期ながら
そんな質素な部屋でさえ
大きな希望を抱いていた。
雑誌に映ったその部屋
子どもコーナーの
ベッドを売りにしたページだと思う
本当にキレイだった。
心底羨ましいと思った
そんなキレイな場所が
日本にはあるんだなって。
んで初めて日本に来て
雪の日でさ
新宿駅がめっぽうキレイだった
本当に美しかったのよ
初めて日本に来た時の事を
書いた曲が『It's so life』
日本に来て親父が住んでいたのは
東京の中野区南台
なんてことない木造アパート
隣の生活音が聞こえる程
薄い壁
そしてドアを開けた瞬間の絶望。
クソほどゴミ部屋だった
歩く場所も無い
唖然とした
呆然とした
言葉が出なかった
絶望した
"話と全くほど違う"
姉や弟はすぐさまに
「きったな!!」と
その言葉で我に返った
俺もすぐに
『汚すぎる…』と
『人が暮らす場所じゃない』と
それならフィリピンで
転々としたスラムみたいな場所
屋根がトタンの家。
完全に手作りの家の方が
綺麗だった
本当にスラムの方がキレイだった
母親の墓参りで家族全員で
一度フィリピンに行った時の写真だけど
実際の家がこれで
ガチな写真。
うん、日本の友達に笑われたよ
【屋根トタンじゃんwwww】って
俺も笑うさ
プライバシーなんて無いのよ
こんなもんマジで
でも親父が住んでいたあのゴミ部屋より
大いにマシだった
むしろまだ俺は
スラムの方が好きだった
そういう話を親父に言えば
【仙台に実家があって
そっちは違う】って
【俺が建てた家がある】って
俺の爺ちゃん
つまり親父の父親が凄い人だったんだろうね
上記の写真はマジな
Googleマップの遠藤家の敷地。
本当は周りの田んぼもそうだった
その奥にも山があったんだけど
その山も遠藤家の敷地だったらしい
でも遠藤家の爺ちゃんの子らが
相当な馬鹿だった
俺の読み通り
『どうせ売るさ』って
そう、結局どんどん土地を
売り払って
田んぼも無くなって
山も無くなって
今あるのは赤い所だけ
本当に俺の読み通り。
だから俺が中学生の時に
仙台の実家で全員に向かって
『後を継がない』って
『仙台の土地に興味無い』って
『どうせ無くなる』って
ね、中坊の俺の読み通り
馬鹿なヤツは一目見りゃ分かる
俺の親父も親父の兄弟
叔父さんたちも
一目見て分かる
コイツらが発する言葉
普段使ってる言葉を
聞けば分かる
本当に読み通り
結局売ったでしょ
だから俺はマジで継がなかったし
実家がすごい土地がある事も
周囲に微塵も言わなかった
どうせ無くなるから
見りゃ分かる
これがまず親父に絶望した話の①。
②次に学歴問題や武勇伝の話に
信念の矛盾や言葉の薄っぺらさに絶望した
親父が純日本人で
遠藤家も全員が純日本人。
親父だけがフィリピンの女と
結婚してハーフという
外れた道を遠藤家でおこなった
だから親父は日本で
お金を稼ぎに残り
フィリピンに母親を残して
【お母さんにお金を稼いできてって
言われたから日本に戻って
仕事をして毎月30万もの仕送りで
お前たちに送ってたんだよ】
ってのが親父の昔からと
今までも変わらない言い分だった
本当の事なんだろう
でも女性を一人にすることで
不安になる女性も居る
ましてや育児も全てを
放棄してお金の為に
稼ぎに行くのも
立派だけど
奴隷売買の解放活動で
知り合ってるから
親父も母親も
芯のある人なんでしょう
でも親父が言う
【毎月30万もの仕送りで
お前たちに送ってたんだよ】
っていう大金はフィリピンにおいても
約2年分以上の給料に匹敵するぐらいの
大金でした。
だからうちは大金持ちで
フィリピンのマニラ首都圏
Quezon City (ケソン市)で
親父のお金で建てた
マンションがあって
その最上階に住んでいて
メイドも居るぐらい
確かに有意義な暮らしを
していたと思う
けど母親は俺らに
お金を使っていた訳ではなく
これはどのフィリピン女性も
そうだと確信した話だけど
フィリピン女性は
お金があると慢心的で
自分の知り合いには警察官や
役所の人間、お偉いさんの繋がりがあって
あんたらなんかいつでも潰せる
みたいな態度の人が多い。
これはフィリピン女性に限らず
中国人にも多いよね
俺も俺の母親だけかなって
きっと母親だけなんだろうなって
信じていた自分が居たから
日本に来ても大勢フィリピン人と
関わったり
フィリピン女性との接点も
自ら増やしたけど
うん、全員が全員
ろくでもない
まず、フィリピン人女性は
その日その日を生きていて
自分が発した言葉さえも
ニワトリのように忘れるから
責任感なんてものは皆無
んで言う事成す事バラバラ
口では綺麗ごとがいっちょ前
でも本当にろくでもない
上記のつぶやきはグローリーっていう
清掃会社に働くリーダーのフィリピン人女性の愚痴
ほんとに酷かった。
上記はフィリピンでの常識だけど
日本では到底受け入れられない思考の動画。
フィリピンじゃ当たり前だからねコレはね
でも俺らが今居るのは日本だから
俺も含め移民風情が調子に乗るなって話よね
とにかく俺の人生において
フィリピン「女性」は
全員えぐかった。
「男性」は俺みたいに
意志が強いし
信念を必ず何がなんでも
貫き通す所があるから
フィリピンの血がある「男性」とは
一生の友達とか全然居る。
むしろ「男性だけ」だね
フィリピン女性の例外は
居るんだろうけど
俺は出会った事が無い
100名と会えば
100名ゴミだった
あくまで俺の人生において、
ですがね。
『母親だけなんだろうな』って
純粋に信じた俺がバカだった
特に絞るなら
●日本に来た事あるフィリピン人女性
●日本語を喋れるフィリピン人女性
●フィリピンハーフも同様
●フィリピン人女性の血が良くない
これが俺の割り出した答え
日本生まれの
フィリピンハーフ女も
もちろんのことやばかった
平気で毎日遊んでる仲のいい子の
陰口を言ったりする。
自分の友達をも蹴落とす。
とにかく上記の●4つの
特徴を持つフィリピンの血が
入った女性が
反吐が出る性格。
だから俺の母親もフィリピンでは
デカい顔をして
周囲へ偉そうに威張り散らかしてた
周りも周り。
俺の母親へは作り笑いは当たり前
でも俺らを見る目は
ゴミのような目で見下してくる
俺はアイツらの
あの目を一生忘れねぇ
って幼少期ながらも
ずっと思ってたし
今書いてるこれらも
鮮明にあの目つきを思い出せる
親父が言う
30万の仕送りは
母親がすべて自分に使ってたし
日替わりで新たに増えていく
キレイなドレス
新たに増えていく香水や化粧品
毎回毎回違う男を
家に連れ帰っては
【新しいパパだよ~(笑顔)
挨拶して~(笑顔)】
ってね
母親が薬物でおかしくなる前は
もちろん俺らもちゃんとした
飯を食わして貰ってたのは
覚えてる
だから俺もフィリピン料理を
今でも覚えてるし
知ってるし
恋しくもなる
でも徐々に俺らの面倒を見なくなって
メイドもムカつくからと
メイドにも当たるようになって
気付けばメイドも居なくなって
母親は更に悪化して
姉に暴力を振るうようになって
俺はそれを見てられないから
止めに入って
そっから俺にも
暴力が振るわれるようになって
でも姉をかばった事に
微塵も一度も後悔してない
本当に徐々に食うもんが無くなってね
親父が言う毎月30万の
仕送りがありゃ
そりゃあ贅沢な暮らしも
出来ただろうけど
俺の記憶では
姉と固くなったパン
ちょっと緑のカビが生えかかったね
そのパンと豆。
チリビーンズだったかな…?
缶詰の種類までは全く覚えてないんだけど
缶詰を開けるとトマトソースみたいな
赤みがかったソースの中に
豆がたくさん入っていて
その缶詰が結構あったから
ほぼ毎日。
最後ら辺はもう
腐ったパンと
そのチリビーンズばっかり食べてたな
姉は覚えてるかな
俺はそれが昨日のようにも
思い出せるぐらい
味も覚えててね
生きるにはそれしかなかったよね
本当に虐待が酷かったから
姉はフィリピンから
日本に出稼ぎに戻った
親父に電話で何度も何度も
何度も何度も何度も
何度も何度も何度も
何度も
助けを求めた
でも親父はずっと
信じなかった
【そんな訳がないだろ】って
俺が28歳になるまでの
親父の嫌いな口癖だったけど
【俺が惚れた女が
そんなことをする訳がない】って
【ちょっと怒られて
ちょっと叩かれたのを
子どもだから大袈裟に感じてるだけ】って
その場に居ないからね
知らないのよ
実の父親でさえ
コレなんよ
だから俺が4歳の時から
虐待は悪化していて
でも日本に来たのは
8歳だから
4年以上も親父は
姉の話を信じなかった
行動しなかった
それが33歳の時に
親父と2人で過去話をしてた時
親父は泣いてこういった
【あの時…もっとちゃんと…
お姉ちゃんの言葉を
早くに信じて居たら…】
ってね
4年
決して短い時間じゃない
んで日本に来てから
俺と姉で親父に対して
母親がひどかったと
めちゃくちゃクレームを入れた
俺が28歳になるまで
【俺が惚れた女が
そんなことをする訳がない】
【ちょっと怒られて
ちょっと叩かれたのを
子どもだから大袈裟に感じてるだけ】
これが親父の
ずっとの言い分だった
反吐が出る
本当に反吐が出る
んでフィリピンに親父が来て
俺らの体中についた痣や切り傷
周囲の言い分を見て聞いて
やっと信じるようになって
日本へ逃げるように
来たけど
俺は日本語も分からないまま
連れてこられた上に
外国人が居る日本語学校じゃなくて
普通の日本人しか居ない
日本の小学校に転入させられて
初日は姉に一緒に来て貰って
大丈夫だったけど
一人で行くようになって
フィリピンの食事では
素手で食べることがほとんどで
だから俺も給食で素手で食ってしまってね
文化の違いで
みんなが寄ってたかって
当初は分からなかった
でも彼らの表情で
物語ったから
俺はその言葉を一生忘れないようにして
あとから日本語をしっかり勉強して
その意味を知った
【きも…】【汚い…】
【えぇ…気持ち悪い…】
当時は意味が分からんかった
でも人の表情で
大体察する事が出来るでしょう?
だから今でも
あの時そう言った奴らの
顔を一人一人覚えてる
これも俺の特技なんだよね
人の名前覚えないんだけど
人の顔だけは鮮明に覚えれてね
一瞬すれ違っただけでも
俺に嫌な事してきた奴とか
例えばわざと肩をぶつかってきた人とか
すれ違いざまに舌打ちをしたやつとか
ほんと一瞬でいい
一瞬でその人の顔の特徴を
一生覚える
だから俺も復讐する時に
これがめちゃくちゃ役立って
仲間に俺が言った内容で
顔を再現できるエルフが居るんだけど
マジで一流な腕でね
『そう、まさにその人』って
クオリティで仕上げてくれる
俺も俺で自分で調べられるから
実際の写真を撮って
エルフに見せたけど
ね?顔の特徴が全て一致するでしょ
もう本人なのよって
記憶する俺も凄いし
それを言葉だけで再現するエルフも
天才的過ぎる
だから俺はこの憎しみで起きる
人の顔への圧倒的な記憶力は
マジで今後の人生に
大いに役立った…。
なう(2026/05/18 01:15:37)
今日はここまで
最後まで書けると良いな
とりあえずこの最後の記事で
伝えたい事は
人生はうまくいかないのが当たり前
でも死んでも思い通りにしたい計画があるなら
身近な地元の友達にでさえ悟られるな
誰にも言うな
何も話すな
一言も漏らすな
徹底しろ
そうすればプロでも見破れない
足もつかない
確実に思い通りに事が進む。
続きが書ければ明日書く。
0コメント